イケダハヤト氏が言っていた適性を見極める方法
イケダハヤト氏が言っていたことだが、適正を調べる方法がある。
まず風鈴をイメージする。
では皆さん、風鈴をイメージしてください。
さて、
風鈴をイメージした時、「風鈴の音が聞こえるか」それとも「風鈴の絵が出てくるか」
どちらかということだ。
ここで風鈴の音が聞こえる場合は聴覚的な才能があるらしい。
聴覚的な才能は言語的な才能と類似しているので文章を書く才能があるということらしい。もちろん音楽の才能も。
文章を書くことと音楽の才能は確かによく似ている。俺はそこそこ文章を書くことは得意だと思っているが歌も確かに得意だ。どんな曲でも基本的に音程を外すことはない。
風鈴の絵が思い浮かんでくるようであれば、その人は絵の才能の方があるらしい。
俺は今ヘリコプターを描けと言われてもちゃんと描けない。普段から目で物を観察しないからヘリコプターを上手く脳内でイメージすることができないのだ。風鈴もよくわからない。
見れば描けるが、ヘリコプターすら一回一回見ないと描けないようであれば前途多難だ。
俺はこんなにも素質がないのに、漫画家を目指していた。
一ページのコマの初めから、何を書くにしても、全ていちいち見て調べて描かなきゃいけないので面倒くさくなってしまった。そして一度描いたものですら覚えられなかった。
絵が下手でも漫画家になれるのかもしれないが、色んな角度で色んなものをスラスラ描けないと、ストレスが溜まる一方だろう。
宮崎駿もアニメーターの素質は? と聞かれ「適正」と即答していた。
ろくに絵の勉強もしない人間が、ヘリコプターだったりピカチュウだったりパンダだったり何でも書けてしまうのは見たときゾッとしてしまった。やっぱり適正というものがあるんだなと思った。
頭の中でイメージしたものをそのまま書くという能力はなかなか鍛えられるものではない。
先天性のモノだと思う。元々の脳の構造やシナプスといった配列が俺は悪いんだと思う。
俺は特に文章の勉強も音楽の勉強もしたことないけど、それなりにできてしまう。
こういった、そんなに勉強していなかったり努力しなくても、ある程度できてしまうというものを仕事にするべきだろう。
それにしてもいきなりパンダは書けといわれてよくパンダを描けてしまう人がいるもんだと思う。
多くの場合小説と漫画だったら、みんな漫画を読めたいと思うし、人々は求めているのは漫画なんだろう。今は動画の時代かもしれないけど。
少なくとも、今の時代、文章を読みたいなんてほとんどの人は思わないだろう。
だが自分の適性がこっちの方にあるのでやむを得ないと思う。どれだけ優れたものを作りたいと思っても技術が必要だ。
同じ話でも構図や背景や表情だったりコマの流れが違うだけで、相手に伝わりものはまるで違うものになってきてしまう。
だからなりたいと思ったものをやるんじゃなくて、できることをするしかないんだと思う。
努力して努力してやっとできるようになったものは、他人が簡単に通り過ぎてしまうレベルのものだったりする。林先生が言っていた。
やっていて楽チンだなと思うくらいのことじゃないと。成功も、継続も、難しいだろう。