「背筋がシャンとしてれば絶対に病気にならない!?」姿勢をしっかりさせるためにどうすべきか友達と議論した

友「今、仕事の一環で地域の公民館に行って、70代80代のお年寄りに健康体操をやっているんだけど、ちっとも良くなっていかないね。まぁ、これは運動習慣を身につけようという話で、治療ではなく予防なんだけど、運動のプログラムも既に決められているから、俺がどうにかできる話ではないんだけど」

しまるこ「うん」

友「見ていると、背筋がシャンとしている人はみんな病気にならないね。頭もはっきりしてる。若い人でも背筋がちょっと曲がってる人がいるけど、ああいう人は年を取ったらヒドイことになるんだろうなぁ……。一つ膝を悪くすれば他の部分も曲がってくるし、内蔵も圧迫されて内科的な疾患も併発するようになるから、膝も要注意だね」

しまるこ「確かに背筋さえシャンとしてれば大丈夫だと思う。昔は病は背筋さえしっかりしてれば大丈夫と言われてたらしいね。感覚的にも理学療法的にも、正しいと思わざるをえないね」

友「鍵は背筋にあると分かっても、それをどういう風に正していけばいいんだろう? いつも背筋を伸ばしてくださいと言うしかないかな? 背筋のトレーニング?」

しまるこ「予防健康医学の大家の西勝造先生がいうには、硬い床の上で寝るといいらしい。少し抜粋して読み上げるよ。

『平床は、重力に対して、もっとも安定した平面であるため、これで休むと全身の筋肉が弛緩し、安静に休息をとることができます。また、直立したために脊柱の前後左右に生じた不整歪曲が、平面に就寝することによって体重で矯正されます。
 やわらかな布団やマットレスでは、部分的相違によって変形し、脊柱が一直線にならないため直立歩行のズレを矯正することができません。
 平床はその硬さによって皮膚と肝臓に刺激を与え、鈍化を防ぎます。皮膚の表層にある静脈を鼓舞し、血液の岐路循環が活発になることで、腎臓の機能もよくなり、昼間の勝王によって生じた老廃物の処理効率があがります』

しまるこ「俺はなかなかこれが続かなくて、背中が痛くなっちゃって挫折した。2週間ぐらいやってれば慣れてくるらしいんだけど、それまで耐えられなかった。だからあまり偉そうなことは言えない。今日お前と話したことでもう一回チャレンジする意欲が湧いてきたけど」

友「いやいや、おじいちゃんお婆ちゃんだよ? そんなことしたら褥瘡になっちゃうよ。腰が悪い人は固めのマットレスの方がいいとはいうけどね。お前のは古い理論でしょ? 今は高反発のしっかりしたマットレスか売ってるんだからそれ使った方がいいだろ。床は固すぎるでしょ。お前の言うやつは健康な人向けの話だね」

しまるこ「まあ、俺自身が挫折してしまったから、この点に関しては何も言えないわ」

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しまるこ「人間の体を物質的な側面からなんとかしようと思うのは半分正しいけど、半分間違いだと思う。いつもどういう風に運動したらいいか、どういう姿勢でいたらいいか、本当にわからない人はわからないようだね。確かに難しいといえば難しい。簡単といえば簡単なんだけど……」

友「うん? うん」

しまるこ「俺はこの辺りはボクシングをやるようになってからわかるようになってきた。1回1回自分の身体の動きを考察する癖をつけてから、全く運動に関して迷いはなくなった。それまでは俺も運動音痴だったし、いつもジタバタ動くことしかできなかった人間だから、その人達の気持ちもわかるんだけど、結局は自分の身体の声を聴くしかない。それが聴こえれば飛躍的に運動神経はよくなるし、自分の身体の動かし方というものがわかってくる。そうなれば身体に関する一切の心配はなくなる。武井荘なんかよく語っているね。彼は脊髄の疾患を患って入院したとき、医者からもうスポーツ選手としては再起不能といわれたらしいけど、頭の中で細胞を再構築するイメージを何度も繰り返した結果、本当に治してしまったらしいね。そういう話は色んなところで聞く。室伏広治も神経のトレーニングを通じて背骨の一本一本を動かせるようになったらしいね。だから背骨はさ、神経や脳の問題だと俺は思うんだな」

友「ふーん」

しまるこ「結局のところ運動神経なんだよ。自分で自分の身体の声が聴こえないから、メンテナンスができないから、披露が蓄積されていってしまう。少し違和感を覚えたら、そのときにストレッチしたり歩いたり伸びをすればいいだけの話なんだけど、そういう感覚がわからず、いつもバタバタしているから疲労が蓄積されてしまう。そしてそういう人は他人頼みだ。自分よりプロを信じてしまう。接骨院に行けば何とかなると思って行くけど、お金もかかるし、めんどくさくなって続かない。これは他人がどうこう出来る問題じゃないんだ。俺たちは理学療法士だけど結局何もできない。ただ指導するしかできない。本人に何とかしてもらうしかないね」

友「そりゃそうだろ。今更だな」

しまるこ「最近、彼女とオムライス食べに行くことになって、近いからそこまで走っていこうということになって走ったけど、彼女は100メートルもしないうちに、もう疲れたと言って息を切らしてハァハァ言って歩きだしたけど、俺は久々に走るという行為をしたけど全く疲れることはなかった。それは走り方というのを心得ていて、手足に全く力を入れず体幹を前に推進して押し出すようにして脱力して走る方法をしっていたからなんだ。そうすれば全く疲れずに走ることができる。今から5キロ走れと言われても、俺は普段全く走る習慣がなくても5キロなんて簡単に走れてしまう。この辺りは食生活の恩恵も多いけどね。だけど、この力を抜いて体幹を前に押し出す動作は簡単だけど難しい。特に脱力というのは本当に難しい。運動が苦手な人は脱力ができないから苦手なんだ。脱力というより頭や心の中がごちゃごちゃしてうるさくて、それが身体や動きに表れてしまうんだ。本当に何もない宙に浮いているような、今こうして話しているようなリラックスして何もない状態のまま運動に移行するということができない。どうしても運動というとジタバタしたり構えてしまう。日常から遠いところにあると思ってしまう。5キロ走ることも椅子に座ってコーヒーを飲むことも変わるものではないよ。そこで俺はいつも思うんだ。結局答えはここにしかない。自分で心を静かにして運動の心得というものと一体化するしかない。自分の感覚で掴むしかないから、理学療法士なんて仕事は詐欺まがいでしかないとね」

友「うーん、まぁわかんない人は絶対わかんないだろうね」

しまるこ「俺はボール投げをオススメする。基本的にうまくボールを投げれるかどうかがその人の運動神経を測る指針になる。舞台のオーディションで殺陣のキャストを抜擢する際に、できれば元々の運動神経がいい人を見極めたいから、そういう時はボール投げをやらせるらしい。ボールの投げ方が下手くそな人は殺陣も下手らしいし、どんな運動しても下手らしい」

友「へぇ……」

しまるこ「俺はその話を聞いたとき、ボールを投げるという動作をもう一度、よく噛み砕いて一から勉強したくなって、利き手ではない左手でも右手のように思いっきり投げれるようにしてやろうと思って練習したことがある。ここらへんはやはり俺の勤勉なところだね。野球選手でもないのにこんなことをしようとするのは俺くらいだろう。最初はびっくりするぐらい前にボールが飛ばなかったけど、とにかくひとつひとつ自分の心や身体の声に耳を傾けて、1回1回すべての運動を細分化してり、題材を大きくひとまとめに扱ったり、色んな角度から丁寧に練習していたら、その日のうちにしっかり投げれるようになったよ。ほぼ右手で投げるのと変わらないぐらいになった。自転車と一緒で一回覚えてしまえば二度と忘れない。たまに左で投げるけど、やっぱり投げれてしまう」

友「絶対嘘だろ(笑)」

しまるこ「みんなこういう姿勢が欠けているね。世の中の瑣末な情報に踊らされて、自分の内なる案内人の存在に気づかない。答えはいつだって自分の中にあるんだ。それに気づくかどうかだけの話なんだけど、なかなかそういう考えには至らない。そしてそういう考えに運よく出会っても、そう簡単に目覚めるわけでも根付くものでもない。だから本当に困ってる。俺自身は答えを知っていて、問答無用で完璧な答えを知っているのに、それを人に授けられない歯がゆさといったらない」

友「ふーん」

しまるこ「基本的にはボール投げでいいと思う。右でも左でも思いっきりボールを脱力して投げれるようになれば問題ない。それさえできるなら病気に悩まされることはない。一生の間で背筋が曲がることはないだろうね。左右両方でしっかり投げれるようになる頃には、運動神経が飛躍的に良くなり、自分の身体の発するメッセージの存在に気づけるようになっているはずだからね」

友「そうなんだ(笑)」

しまるこ「バガボンドの井上先生もずっとこんなことを書いているよね。あの漫画はこの話をずっと言っているといっても過言ではないと思う。井上雄彦は絶対に体が悪くなったりしないよ。漫画を描き過ぎて一時的に腰痛になったとしても、すぐに取り戻してしまうよ。あの人は自分の身体の声を非常に丁寧に聴き取ることができるし、剣を振ったり、バスケをしたり、そこから得た体動感覚を漫画に落とし込んでいるから、普段のちょっとした歩きの中でも1回1回自分の身体の声を聴いている人だから、身体が悪くなることはないんだ」

友「まるで井上先生と友達のように話すんだな。お前は」

しまるこ「へへ」

友「井上先生も、漫画を描けば描くほど身体が悪くなっていくと思うけどな。冨樫先生だって今それで漫画描けないんだろ」

しまるこ「冨樫は素晴らしい漫画家だけど、その面においては勉強不足であったと言わざるを得ないね。画力と運動神経は密接な関係があるから、画力で井上雄彦に負けている点もそこからきているんだろう。もし冨樫が井上雄彦のように自分の身体の声と格闘する習慣があったなら、身体を悪くすることはなかった。もし井上雄彦が手塚治虫のようにびっしり漫画を描く生活を送ったとしても、俺は絶対、井上雄彦は体を悪くしないと思う。俺自身が死ぬまで絶対身体が悪くならないことが確信できるように、あの人も悪くならないのが確信できる。別にたいして運動なんてしなくたっていいんだよ。ただ心の中にそういう一つの筋という柱というかそういうものが確立されていれば、あとはそんなに努力しなくたっていい。急に5キロ走れと言われても簡単に走れてしまう。すでに心の中に運動の確かな法則が確立されてしまった人間は運動の習慣すら必要なくなる。問題は、だから、人にこれをどう伝えるかそれだけなんだ」

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しまるこ「昔の剣術道場なんかだと、決して剣の理屈を教えなかったらしい。ただひたすらボコボコに叩きまくっただけらしい。これは別にもったいぶったり意地悪をしているわけではなくて、これが最短だと考えられていたんだ。今の人はとにかく何でも口で教えてもらいたがるし教えたがる。口や頭で何でも理解しようとする。俺はそれが返って理解を遠ざけると思うんだ。ひたすら無心で左手でボール投げてればいいんだ。真理は伝えられるものではない。口や頭で理解できるものではない。一番いいのは、ただ、真理を知っている人とつながって一緒に過ごすだけだと思う」

しまるこ「だから俺は彼女の運動神経を良くするために一緒に彼女と過ごすだけでいいと思ってるんだ。俺自身の運動神経を拡大して、それで彼女を包み込むようになって、俺の目から発射される光線によって彼女の運動神経を良くしてあげたいと思ってるんだ。馬鹿げてると思うかもしれないけど、俺はそういう人が歴史上に何人か存在していたことを知っている」

友「そんなこと考えずに普通に楽しく彼女と運動したらいいと思うけど」

しまるこ「それは不毛だね。同じところをぐるぐる回るだけだ。ただ遊ぶように運動して楽しかった、はいおしまいじゃ、彼女のためにならない。運動の楽しみを知らずに人生を終えてしまうだろう。本当の運動の楽しみは真理の中にある。真理に基づいた運動は疲れないし健康に良くて最高に楽しいものだ。週末にちょこっと運動する快感なんかとは比べ物にならない。そして、この運動の心得は俺や彼女だけではなく、すべての人間が辿りつかなければならない境地なんだ。武井壮や室伏浩二みたいなアスリートだけが履修する課題ではない。健康で文化的な生活を命のギリギリまで続けるために、誰もが避けて通れないものなんだ」

友「無理な人は無理だろ」

しまるこ「ゲーテは80代後半になっても、周囲がびっくりするほど背筋がシャンとしてたらしい。ゲーテの弟子が残した文献に記録が残っているね。その背中には周りの人達もよく驚かされたらしい。俺はゲーテは決して運動マニアではなかったと思う。トレーニングを積んでたわけではないと思う。ただ、世の中の真理と深く結びついていて、心や身体や自然界の声に気づいていたんだ。その澄まされた心的態度が運動の法則を理解するまでにも及んで、自分の姿勢すらも再構築することを可能としたんだ。ゲーテはいつも立って執筆する習慣があったというから、それも一因だとは思うけどね」

友「ゲーテとも友達のように話すんだな、お前は」

しまるこ「歳をとっても、心が静かに澄まされていれば背筋もしっかりするといういい例だね。現代は、この薬がいいとか、このトレーニングがいいとか、ぶつくさ色んな理論が蠢いているけど、結局心を静かにすればいいんだ。そして、色んなことに気付きながら太陽の下を歩いて身体を伸ばせばいいんだ。心を静かにすれば、運動の核となる存在を感知することができる。しかし、それをどうやってハッキリ感知してもらうか、問題はそこなんだ」