恋愛における問題はすべて「相手に見返りを求めない」だけで解決する


今の時代は何でも対処的に治療する。

 

例えば血圧が高くなったら血圧を下げる薬。
血糖値が下がったら血糖値を上げる薬。
うつ病にはセロトニン
パーキンソン病にはドーパミン

 

減ったら増やしたり、増えたら減らしたり、その場しのぎで数値を増減させ、なんでも後手に回って追われるばかりだ。

 

これらの薬には副作用があるし、後手に回ってばかりで、病気に対して追いつくことも追い越すこともない。ただただ慢性的に悪くなっていくのを一時的に和らげているばかりだ。あるいはを助長させている。


根本的に良くしようと思ったら断食しかない。
「何も食べなければ病気は治る」と昔ピラミッドにも書いてあったように。難病を患っていた人が断食で治ったように。

 

断食しかないのに、どうして断食療法がちゃんと浸透していないのかわからない。

 

1日1食を実践したり、一部の人間には少食だったり断食療法を実践している人はいるけど
まだまだ世の中的には嫌気的なようだ。

 

医者も公に進めたりはしていない。
西洋医学的な治療の方がはっきりとしたエビデンスがあるので、それに則ってやるしかないように思える。断食がこの概念を上回る日が来るのだろうか。

 

食べないとどんどん痩せていって、衰えて可哀想とか、自分自身も食べないと空腹感によって切なくなって、それが体に悪いと思わざるを得ないのだろう。

 

美味しいものを食べてワクワクした時の気分が、体にいい、人生においてとても素晴らしいと思わざるを得ない。

 

もっと感情的に言えば、ガツガツ食いまくりたいから、断食とか粗食が出回ってしまったら、ガツガツ食えなくなってしまうのが嫌なんだと思う。 

 

それだけみんな油っこい汚い体になってしまって、血管が腐ろうが破れようが、とにかく食べていたい。断食で病気が治るとしても、みんなにもドロドロ汚れて汚い食欲にまみれていて欲しいのだ。その方が落ち着くのだ。

 

CM でもネットニュースでもテレビ番組でも街中の飲食店、甘そうなドーナツでも分厚いステーキでも、よく揚げられたポテトでも、うんざりするほどそれらがごちゃごちゃしていて欲しいのだ。

 

みんなで一緒にくだらないもんを食べてぐちゃぐちゃになって汚れてボロ雑巾みたいになりたいのだ。

 

そしてそれが嘘だとしても、国には正しいことだという体裁で、お触書を出して守っていてほしいのだ。


さて、ここからが関心な問題だ。

恋愛においても大体の場合は対処療法なのだ。

 

相手から返事が来ない時はこうしろとか。
女の子はここを褒めろとか。
失恋して落ち込んでいる時がチャンスとか。
この髪型が今モテるとか。


非常に部分的と言うか対応的と言うからとにかく根本的な対策ではない。

 

恋愛も医療と同じように、不足している部分や過剰な部分の帳尻を合わすような対応策ばかりが席巻されている。

 

騙されてしまうほうも悪いが、騙す方が悪い。

間違ったことを言っている自覚のないブロガーがあまりにも多すぎるのだ。

 

超一流ブロガーの俺が代わってお詫びしたい。

ろくに断食したこともないくせに偉そうに語る人間が多いのだ。

 

断食が医療で言う根本的な治療であるならば、恋愛においての断食というのはどういうことだろうか。恋愛の根本的な治療というのはどういうことなのだろうか。

 

医療と恋愛は違うというだろうか? いやそんなことはない。世界はすべてたったひとつの真理で繋がっているんだから。

 

恋愛における断食とは、外部に振り回されないことだと思う。

 

食事のように、外から栄養や美味しさを補給したり、求めてはいけないということだ。

 

相手から何かを得ようとすること。相手から見返りを求めること。優しくしてもらいたい。性処理をしてもらいたい。愛されたいという依存が、食欲が同じ関係だと言える。

 

断食すれば全ての病気が治るように、恋愛も、他人への依存をなくせば病は消失する。

好きになってはいけないっていうわけではない。見返りを求めるなということだ。

 

恋愛における病は、全て、相手から何かをしてもらいたいという気持ちが病巣となり疾病と化す。

 

いつも常に大事なものは外ではなく内側にある。

断食を恋愛に応用して解決するのはおかしなことだろうか? ここまで帳尻が合っていたらおかしなことでもないだろう。

 

ある分野でひとつの真理を見つけたら、その真理を応用して考えることだ。

 

恋愛で困ったら、一度立ち止まって、相手に何も求めないというところに帰結しよう。

 

相手に何かを求めれば求めるほど、自分も相手も傷ついていくということを忘れないようにしなければならない。