恋愛に何かが足りないとは、それはずばり運命

いい人間というのはたくさんいる。俺が出会った人間も、大抵はいい人だ。みんなあの人はいい、という。いい人だね、いい人だ、という。殆どの人がいい人なのだから、いい人同士がさっさと巡り合って、結婚するはずなのに、いつもそうはならない。


いい人同士なら結婚すればいいのに、「うーん、なんかね」という。「なんか」が引っかかるらしい。


「なんか」とは何だろう。顔。性格。男らしさ。お金。愛情。直感。身体。人間力。パワー。


結婚までの及第点となり得るまでの「いい」はなかなかに難しい。

 


誰もが真剣に恋をしたくて、頭を抱えている。一人一人を解剖してみると、たしかに悪い人間でもない。こんな、誰でもできるくだらない仕事を毎朝早起きしてがんばっている。上司からも、普通に伝えてくれればいいはずの要件を、わざわざきつくいわれて、無意味に苦しんだり、周りから浮かないように愛想笑いしている。家に帰って、親に小言いわれて腹が立っても、親に言い返すのは違うと思って言い返さない。ついテレビを見すぎて時間を無駄にしてしまったことを反省したり、自分とした約束を守って、毎日の生活を真面目に生きている人がいる。そんな人でも恋ができないのは、なんて残念だろう。


職場でも、35歳の独身女性がいるが、いつも疲れた顔をしている。機械的に毎日を繰り返して、痛みを伴わないので死ねるものなら死にたいという顔をしている。本当につまらなそうな顔をしている。休憩室で不味そうにタバコを吸っている。一体誰がこの子を好きになるんだろう? と思ってしまう。俺が代わりに結婚してあげなければいけないような気がしないでもない。この人は一体、まず、どうすればいいのか。


とりあえず、出会い系をやったらいい。


出会い系で80人くらい会って思ったことは、とにかくメッセージを送ればいい、ということだ。機械的にただ送る。そこに嬉しいとか楽しいとか気持ちがあってもなくともいい。ただ送る。そして会う。デートする。セックスする。その後色々考えればいい、という結論に達した。


メッセージは何を送ればいいか、デートはどこにいくべきか。何回目のデートでセックスすればいいか。とか、たしかにやることや、考えることはいっぱいある。そして、そのやることも、考えることも、大体がうまくいかない。


俺はやはり、人間というものをテクニックでどうこう捌けるものではないと思っている。ダメなときはダメで、上手くいくときは上手くいく。そういうもんだと思っている。明らかに恋愛テクニック本や、自分が編み出したマニュアルに反した行動でも、上手くいくときがある。


一つ肝心なことをいえるとしたら、腐らないことだと思う。少し振られたくらいで、自分は一生恋愛できないんだ。劣性遺伝子なのだ。異性としての魅力が欠けるのだ。お父さんの精子が薄かったんだ。お父さんがお酒呑んでセックスしたときに生まれた、と嘆いてしまい、行動しなくなってしまうことはよくない。


量をたくさんこなせば、うまくいくときがある。


トルストイは「人間の仕事はただキラキラしてさえすればいい」といったが、俺はこの名言が大好きだ。


心を発光させてキラキラできるように、朝起きて祈ったり、心をいつも曇らないように掃除をする。そんな精神操作だけを、人間はやってればいい。


やっていれば、どんどん心が綺麗になってきて、わくわくしてくる。


そんな心で出会い系に挑んでいて、全ての女が俺を好きになるだろうと思って出会い系をやっている。それでも、上手くいかないことが大半だ。だが、修行をしていれば、へこたれなくなる。自分の心がキラキラしてさえいれば、そんなことに動じなくなる。人生の問題の全てに動じなくなる。


「なんか」足りないというが、「なんか」とは、ずばり運命だと思う。


運命ばかりは、相対性だ。たくさん出会って、その中の誰かと巡り合うまで辛抱しなければならない。


いつも自分がキラキラしていて、人生を好きなように散歩していれば、運命を引き寄せることができると信じている。