すぐに「え?」とか「はい?」と言ってしまう人は心が浅い

ふと、たった今気になったことといえば、例えば通行人に、今日はいい天気ですねと声をかけたとする。


すると、きょとんとして「え?」「はい?」と返す人と「そうですね」と落ち着いて返す人がいると思う。


これは心の練達度による違いだと思う。


普段、日頃から心を下に流して、深いところに通底した気が通っている人は「そうですね」と返す。心が上ずっている人は、予想外のことがあるとすぐに慌てる。


重力が下に働くように、やはり心は下の方へ流れていなければならないと思う。


やる気を出そうとしたり、頑張ろうとして意識が上空へいったり、天を崇めようとして、空に向かって祈ろうとする行為は間違っているんじゃないか、と最近は思うようになった。


意識を下に向けて、ここが、心の中央の部分だというところに焦点を合わせて祈ることで、天地と波長が合うじゃないかと仮説している。


外や上空や、遠くに意識を合わせることが大事だと思っていた時期があったが、今、現在では天地とピントを合わせるには自分の心の奥に潜っていくといったような低い下流に意識することが重要だと考える。


いつも常に意識していることは、この心のピント具合だ。


ああ、ここだ、という心の置き場所がはっきりとわかっていれば、全ての問題に対して万能に対応できるし、心があっちこっちしなくてもいいので、楽だ。


心の最下層に入り込み、天地と一体になり、それが溶けて無くなって、すべてが消滅するとき、人間は最高のパフォーマンスを発揮できるのだと信じている。


根拠はいくらでもある。


古武道の本や、成功哲学の本、偉大な心理学者や、精神世界の最高峰にいる人物らの著書を読み漁っていたら、結局、扱う言葉は多少違えど、意味することは同じだからだ。

 

弓と禅は、目を瞑って、弓を放ち、的を必ず当ててしまう名人の話だ。


その名人は、自分ではなく神が放つという。自分という意識を解き放ち、神が代わりに打つから的を得るのだという。


芸術分野でも、自分でも思いもよらなかった、別の何かが文章を打って、それが大ヒットになったなんて話を聞いたりする。


とにかく死にものぐるいで、無理して目標に向かって頑張るのではなくて、この潜在意識の力、宇宙の力、神の力の秘密を解き放つことが、人生で一番の重要ごとなのではないか。


常に神と一体になって、意識が宇宙と繋がっていれば「え?」「はい?」みたいな表層の反応は現れないだろう。


なぜこんなことを思ったかというと、今、喫茶店で文章を打っており、多くの利用客がいて、みんな「え?」「はい?」といいそうだからだ。